専門医による医療解説


呼吸器インターベンションセミナー

 岡林孝弘

  • 皆様、平成28年11月より井上病院へ勤務しています岡林孝弘です。よろしくお願いします。
  • 平成28年11月26・27日に鞆の浦鷗風亭で、第21回呼吸器インターベンションセミナーが、井上院長の当番世話人で開催されました。今回は、このセミナーにつきまして話してみたいと思います。一応学術セミナーですので、一般の方には難解な説明になることをご容赦下さい。
  • この会は、現在「日本呼吸器内視鏡学会」の一分科会として位置づけされており、北海道から九州まで、全国からこの分野に関するエンスージアストたちが集まっています。
  • インターベンションとは、介在治療という意味で直接的な外科手術ではなく、内視鏡・カテーテル・放射線・超音波などを介して種々の診療を行うことです。
  • 歴史的には放射線科の先生方が血管造影の技術の延長で肝臓がんに対する肝動脈化学塞栓療法などから種々の分野へ広がってきた経緯があります。循環器科では、冠動脈の経皮的冠動脈インターベンション(PCI)や大動脈瘤に対するステントグラフトなどが含まれます。消化器領域では、閉塞性黄疸の減黄目的の胆道ステントや消化管自体の狭窄解除目的にメタリックステントが使用されています。
  • 呼吸器領域でのインターベンションといえば、気管支鏡の発達と歩みをともにしています。1897年ドイツのキリアンが硬性気管支鏡を発明し、気道異物の摘出が可能となっています。1966年当時国立がんセンターの池田茂人がフレキシブル気管支鏡(気管支ファイバースコープ)を発明してから、診断と治療(すなわちインターベンション)が世界中に広がり、発展してきています。
  • 気管支ファイバースコープは我が国で発明されたこともあり、国内の呼吸器科医には馴染みがあり、その有用さもよく認識されています。しかし、近年窒息の危機が迫る気道狭窄に対する処置としての気道拡張や気道ステント留置などの治療法が主にフランスのデューモンなどにより実践提唱され、使用機材としての硬性気管支鏡が再認識されています。
  • 1990年頃から、これらの処置および手技に関心を持たれていた当時広島市民病院内科部長(現聖マリアンナ医科大学特任教授)の宮澤輝臣はヨーロッパ留学の際にマルセイユのデューモンから指南を受け、広島から国内向けに情報発信と現地での出張治療を開始しました。
  • そのころ、マルセイユでは、硬性気管支鏡ならびに胸腔鏡によるインターベンションのセミナーが開催されるようになり、宮澤輝臣や岡山赤十字病院の故渡辺洋一などが参加しています。中国四国地方を中心とした有志を集めて1999年4月に第2陣がこのセミナーに参加しました。当時、高知県立中央病院勤務の私も宮澤先生の誘いで参加し、国立福山病院(現福山医療センター)在勤務でした井上先生と一緒でした。
  • ライヴビデオでのデューモン先生の硬性気管支鏡下メタリックステント抜去を体験したり、私も予定外の飛び入りで体験例をプレゼンさせて頂いたりしました。セミナーもよかったのですが、観光や懇親のパーティーで充実した思いでした。親密となった日からの15名の参加者はいわゆる「マルセイユ会」なるものを構成し、帰国後も勉強会や親睦会を開きましょうとの機運が高まりました。
  • その情熱が冷めないうちに、第1回の集まりを開くべきとの思いを強くしたのが井上先生でした。1999年9月25日に鞆の浦にて第1回呼吸器インターベンション研究会が開催されました。全くの任意団体ですが、アカデミックな研究発表がありました。研究会の後、仙酔島へ渡り、古めかしくなった宿で宴会、そしてインターベンションの未来について皆で熱く語り合いました。このような雰囲気の会を創りあげたことは井上先生の大功績の一つです。
  • その後、当番世話人の持ち回りで研究会は継続し、海外のこの方面で高名な先生をゲストに迎えることもしばしばありました。私は第6回の世話人を引き受けました。はじめは内輪の「マルセイユ会」とほぼ同義でしたが、国内のこの分野に造詣の深い各地の先生方が徐々に参集するようになってきました。
  • そして、このたび第21回を迎え、再び鞆の浦で井上文之が世話人を務めました。国内では、このようなマニアックな診療に取り組んでいる施設は、大学病院や公的な拠点病院がほとんどで、その数も限られていますが、当院のように小規模な病院でリスクの高い処置を行うことは珍しいといえます。
  • 私たちスタッフはこういった治療困難なケースへの対応に習熟するべく、今後も努力を続けていきます。
  • 注)上記は、井上病院広報誌「はいのたね」第12号よりの転載です。